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やる気のある人だけよっといで!!


仏画工房 楽詩舎の運営理念:日本の伝統仏画の研究と新しい仏画の提案

2006年8月21日内容更新

※このページは、俗に言う「求人広告」のページではありません。



本気で、日本の伝統絵画の技法やそれを代表する仏画を勉強したい人。
きちんとまじめに取り組みませんか?人生を賭けてみませんか?

あなたの才能とやる気で、誰もがそのテクニックの難しさで継承を諦めた日本の伝統技法をあなた自身が、継承して下さい。そして、プロの絵師として、または作家として、後世に伝えて下さい。

仏画工房 楽詩舎で、私(正観)や先輩たちと一緒に研鑚(勉強・研究)を積みませんか?



研鑚なんておおげさ!!趣味としてなら仏画を習いたい。
そんな方は、ここをクリックして下さい。


参考になればと思い、20分の動画を期間限定で配信していますが、過去に全国TV放送されたものですので、プレゼント応募はしないでください。著作は読売テレビです。ココです



適 正 と 条 件(受け入れ基準)
1 ■仏画を代表とする日本の伝統絵画に熱い想いを持ち、それを真剣に勉強したい人
※ジャンルを問わず、を描くことが何よりも好きな人、美術系学校卒の人、日本画描ける人等、経験者はもとより上記の意思と以下の条件を満たせば、誰でも受け入れます。
2 フル通いでも1年〜3年は、塾生(研究員)となるため、自分で住居や基本的な生活手段を確保できる人。
3 共同制作があるため、協調性が有り、前向きで、明るい性格の人
4 これから自分が、何を目的に、何をしようとしているのか、きちんと考えて実践できる人
5 仕事を通じて勉強する為、、絵画(仏画)の制作手伝いをした時、きちんと責任をもって遂行できるまじめな人。
6 研鑚する場所が、仏画工房 楽詩舎でなければならない理由を語れる人。
7 自分の描いた作品(ジャンルを問わずあれば何でもOK、あなたの絵心を判断します。)と
私の元で、勉強したいという想いを綴った作文1,000文字以上を用意し
略歴と共に正観まで持参できる人。
入門初期における奨励金支給制度もありますが、条件と保証人が必要です。(詳細は入門時に説明)
待遇 1、基本勉強中(1年ぐらい、個人差有り)は、席の確保。画材など全て貸与します。
2、基本を習得後、制作手伝いを通じて勉強をしますが、仕事としての貢献度によって支給します。
3、ある程度手伝いなどで制作の経験を積んだ時点(1年〜3年個人差あり)で、工房所属のプロの絵師として能力に応じた作品の制作に携わり、研鑽を積むことができます。
4、10年以上、工房にてまじめにきちんと技術はもちろん、あらゆる面で修練を積んだ者は、正観の推薦を得て個展開催も可能です。

5、仏画や伝統的日本画制作において経験のある者は、正観と共通の想いをもってすれば制作スタッフとして有給にて歓迎することもあります(作品持参)。
6、奨励金支給制度 収入が少ない時期に、最低限の生活費を得る制度があります。
約束して欲しいこと 全ての条件や待遇を受け入れ、それらを理解、承諾、決心し、晴れて仏画工房 楽詩舎の絵師の一員として勉強することになった時は、どうしても続けられない外的な障害が生じない以外は、最低でも3年は継続して勉強を続けて頂きます。
石の上にも3年・・・とか、継続は力なり・・・。まさにそうなのです。続けなければ何も得られないし、何も生まれないのです――。

私の仕事と大きく関わり、席を隣にし、工房の内容や実情は元より、私個人や他の弟子全員が、己自身を全てをさらけ出した家族のような、そんな中に入って勉強することになります。
この方法が一番早く、プロとしての技も精神も礼儀も伝承できると信じ、長年続けています。
こうして、私の大切な仕事への影響も覚悟し、やる気のある新人さんを受け入れることになります。

希望者の情熱とと誠意だけを信じて受け入れる分けですから、気まぐれに弟子入りし、勉強途中で安易に辞められると、仏画工房 楽詩舎は、ただ、ただ、損害を蒙っただけといった形になり、中に居る人たちは普通の人として深く傷つきます。

最近、結果としてそうなったのですが、こういった当たり前のことをご存じない方が工房にて勉強を始められ、ご自分の気変わりだけで3ヶ月も経たないうちに辞めるといったことを、長い経験の中で初めて経験しましたので、あえて、ここに弟子入り志願の方に、決心とはどういうことなのかもう一度考えて頂きたく記載しておくことにしました。 2004-7-1

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"習う"ということ  1998年:中外日報 未掲載原稿より (他のエッセイに書き直しました)


私の工房では、仕事を通じて「仏画」の勉強をすることになっているので、勉強を始めたその日からプロとなる順調に基本をマスターし、力をつけてゆくと、その能力に応じて仕事の手伝いから簡単な作品に進めるわけだ。

良いか悪いか分からないが一番早く能力が身に着く方法と信じてこのやり方でやっている。

寝食を忘れ、のめり込む人などは、一年もすれば、結構、描けるようになる。
昨今の不景気でそうもいかなくなったが、二年も勉強すれば、そこそこの収入になり得た。

「良いか悪いか分からないが」などとややこしい書き方をしたが、実は、この、我が工房のやり方にいささか疑問が生じてきている。
というのも、過去十三年で二十人余りの志願者を受け入れたのだが、十年続いている弟子はたったの二人しか居ない。

もちろん、我が工房を飛び出して、一人で仏画を描いて生活している者や、他の工房でお給金を貰いながら仏画を描いている者も居るようだ。

何で、我が工房を、志し半ばで辞めたかは、個々にそれなりの理由があったにせよ、ほとんど、「お金」が理由であった。

 入門当初は、純粋に美しい世界であるところの「仏画」にあこがれ、描きたい一心で、私を頼って来る分けだが、何年か経つと、勉強中の身であることを忘れ、仕事であるところの「仏画制作」に対して、仕事人としての給金を要求したくなって来るらしい。

 過去何人かは、我が工房を辞める時は、仏画の勉強を始めた時の純粋さ、美しさは、なくなっている。

ぼやいているのではない。
以前も書いたが、「仏画を描きたい」という気持ちと「仏画を描いて生活したい」ということは、同じのようで、実はまったく違うということである。

 私自身が、仏画の制作を生活する手段として選んだことで、ただ純粋に「仏画を描きたい」と願う者にまで、プロとしての姿勢を強要していたことになる。

 一日も早く能力を身に付けるやり方とはいえ、プロになりたいと願わない者にまでプロ意識を植えつけようとしていたのだ。

「いまさら何を言っているのだ」と叱られそうだが、三十一年間、無我夢中で仕事をしてきた今、やっと気がついたのだから仕方がない。

 開き直るつもりはないが、私は、「仏画を描いて生活する」ということに、いささかの迷いはない。

 しかし、ただ「仏画を描けるようになりたい」という思いだけで教えを乞う者に対しては、対応していなかったのだ。

もはや、我が工房も、カルチャー教室的性格の画塾が必要になって来たのかもしれない。
 その方が、授業料を払って勉強することに慣れてしまった者には、勉強中の己を自覚し易いのかもしれない。  

私は、授業料を貰って先生ぶるのは好きではなかったが、考え直さなければならないのかもしれない――。

 しかし、その方法では、一番大切な物を創ることの本当の意味や精神を伝えられないし、先人達が日本人として最も大切にしてきた教えを受ける者への敬意や礼儀がほとんど育たないかもしれない――。
 

 
 仏絵師  藤野正観


ある希望者に書いたメールより、部分
ここに居る皆が、日々、自分の好きな仕事をさせてもらえる事に素直に喜びを感じ、いつも明るく楽しく仕事に接し、その中にも各人のピーンと張り詰めた緊張感がほどよくみなぎっている。その三つのバランスがとれてはじめて、私の理想とする仕事場が成り立つと思っています。来る人を力ずくでまた、規則で縛りつけたくないのです。だから、新しく入門を希望する人は、この事をよく理解した上で、私と共に実践できる人、または、そう成りたいと願う人となるわけです。 1997年4月

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弟子の活躍状況の質問に対して書いた返事より、部分

 
我が工房で、勉強された人達は過去23人の男女がおりますが、最初の5人を除いては、長くて5年、早い人では1年で辞めてしまいます。その内、私から辞めてもらったのは、たったの3人だけですから、志し半ばで辞める人には、私自身が本気で接する為、結構傷つくのです。
やる気のある内は、絶対辞めろとは言わないつもりでおります。私がやる気だけで、生きてきましたから――。
来るものは拒まず、去るものは追わずが私のやり方です。

 最初のメンバーの中では、私の知っている限りでは、5人の内2人が、現在も我が工房で活躍しておりますが、他の三人も、現役で活躍されているそうです。
彼女達も仏画に出会って10年が経過し、この先も仏画を描いて生活して行くそうですから、当初の彼女達の意気込みを知っていたとはいえ、あらためて感動しています。
村上惠那、廣中真浄が我が工房で10年を迎えました。今のところ独立は考えていないらしい。

5年前より、
小林登喜子(静山)が一人で活動。また、最近知ることになったのですが、京都・山科にある、かつてのお得意様でもある某G造佛所の仏画部門を、佐藤淑美、松岡良枝が、担当しているようです。(どおりで仕事が来なくなったはずです・・・。)
 当初は、全員がいろいろ、難題を抱えての修行でしたし、またそれが原因で、志半ばで、我が工房を去らなければならないことにもなった訳ですが、さぞかし、たいへんだったでしょう――。今では、たくましい彼女達の活躍を知り、胸を撫で下ろしております。彼女たちの「ガンバリ」のおかげで「仏画工房 楽詩舎」が成り立ってきたと言っても過言ではないからです――。 1999年5月

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〒610-1152 京都市西京区大原野北春日町867ー3  楽詩舎 藤野正観 075-331-2750

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