明治、大正時代に墨衣で京を駆け回った「走り坊さん」をイメージして描いた掛け軸(京都市左京区・大蓮寺)
|
お坊さんが走り回るほど忙しいとされる師走。約100年前の京には実際に、墨衣にずた袋を提げて市中を駆け回る「走り坊さん」が、大蓮寺(京都市左京区西寺町通二条下ル)にいた。安産のお守りを届け、もらった米は貧しい人に配った。その心を知ってほしいと寺はこのほど、掛け軸とお守りを作った。
■安産お守り、米届けた人気者 100年前の京 縦横に
名前は籏玄教。1890(明治23)年、18歳の時、当時は下京区五条通西洞院にあった大蓮寺に来た。寺男として寺の使いや安産のお守りを妊婦に配るために市内を駆け巡るうちに、「走り坊さん」と市民の人気者になった。
大蓮寺の芳井教哉副住職(43)は、前住職の亡き祖父から、籏のエピソードを聞いた。身長は143センチ。1年中、背中に番傘を担ぎ、右手に扇子を持って調子をとって駆けた。1日に15里(約60キロ)を走り、酒が好きで雑煮のもちは70個も食べた…。
1918(大正7)年、流行性感冒で亡くなった時は新聞が大きく報じ、葬儀では老若男女の参列者が絶えなかったという。
大蓮寺は、「走り坊さん」の存在を広く知ってほしいと今回初めて、籏が走る姿をイメージした絵を描いてもらい掛け軸にした。併せて「足腰健常」のお守りも作った。
芳井副住職は「健康で京都を走り回り、お寺に来られない妊婦さんにお守りを届けた。米や菓子など頂いたものは、みんなに配った。彼の姿や思いが現代人に少しでも伝われば」と話している。
|