中外日報 1999年(平成11年)11月18日 中外アート 不定期連載エッセー&コラムより 1/2紙面

「平成釈迦金棺出現図」 制作によせて

歴史と祈りを凝縮

素晴らしい仏画を次代に

仏画工房 楽詩舎 代表絵師 藤野正観

 

 来年四月、計画から六年の歳月をかけて建立された「善峯寺・寺宝館 文珠堂」が完成し、落慶法要が盛大に催されることになっている。

 その寺宝館の正面玄関を飾る仏画として「釈迦金棺出現図」が選ばれた。
この元絵となる国宝のそれは、もともと善峯寺のある西山の近く、長岡京市の天台宗・長法寺にあったもので、紆余曲折を経て、現在は、京都国立博物館蔵になっている。
絹本著色・平安時代後期(十一世紀)の作――。  

 善峯寺山主の掃部光暢師は私の恩人でもあり人生の師でもある。
私がこうして仏画を描いて生活させて頂けるのも、師の後ろ盾のおかげ、その光暢師からのせつなる要望を受けてその大切な想いのある「釈迦金棺出現図」を私が描かせていただいている。

 師のせつなる要望の真意は、私には、計り知れないが、かつての宗派、天台宗の兄弟寺院として、この西山の地から国宝が消えたことに心を痛くされていたのだろうと勝手に想像している。

 さて、その「釈迦金棺出現図」なる不思議なタイトルの仏画だが、「摩訶摩耶経」によると、釈迦の死を知って、とう利天から下りてきた摩耶夫人が、あまりに嘆き悲しまれるので、釈迦は大神通力をもって金棺から身を起こし、母君の為にこの世の無常、つまり生死の真理を説いた。  
 その時、釈迦の身は大光明を放ち、その光明の中に百千の仏が現れて、釈迦と共に摩耶夫人に向かって合掌した。 

「釈迦金棺出現図」を制作中の筆者

 
 そして、ようやく母の顔が蓮の花のように和らぐのを確認し、釈迦は再び金棺に身を隠された――。と説かれているらしい。  

 元絵では、絵の具が剥落していたり、変色したりまた、お香の煙でかくされていたりで、鮮明さに欠け、サーラ樹林(沙羅双樹)に見え隠れする諸菩薩や精霊たちの姿が良く分からない。
 多分、実際は、くどいくらいの色彩が施されていて、観る者を熱帯インドのクシナガラ、サーラ樹林の聖なるシーンに誘ってくれたと思われる。

 平成の「釈迦金棺出現図」をとのお話しだったが、確かに、平成に描くのだから平成の仏画なのだが、私の持論ではただ、今様ではいけないのだ。
 つまり古仏画には仏教が人々を救済してきた歴史や人々の祈りが凝縮されている。 それぞれの時代に再現制作されても、その祈りや歴史をそのまま表現できなければ真の平成の仏画と言えないと思っている。
 あくまでも、平安時代に描かれた美しい仏画を新品に戻すということは避けなければいけないのだ。戻す必要などどこにもないのだ。

  悠久の時と祈りが創り、完成させたそれを拭い取らず。 平成に生きる私が、その素晴らしい仏画をそのまま次の時代に受け渡すことが出来れば言うことはない――。

  「釈迦金棺出現図」は、私の絵描き人生で出会った最高の絵画の一つと思っている。
数多い仏画の中でも涅槃図や来迎図と並び中世の西洋画のようにすこぶるドラマチックである、描き手である私を十分楽しませてくれる。
 また仏絵師としての最高の気分に浸っている――。      

ふじのしょうかん