中外日報 1999年(平成11年)8月19日 中外アート 不定期連載エッセー&コラムより 1/3紙面

伝統の価値再考を
美意識が国をつくる
日本的美意識の喪失
仏画工房 楽詩舎 代表絵師 藤野正観

  明治に入り、西洋の美意識が輸入され、それまで伝統的な様式と形式を表現することに何の疑いももっていなかった絵描き達は、その西洋の様式美に新鮮な美を感じ、競って西洋の様式を取り入れた。
これにより、日本の伝統的な絵画表現は大きく様変わりし、がむしゃらに西洋の美意識を追求することになった。  
 
 この頃から日本の古き良き文化も西洋の価値観や美意識に侵食されることになってしまった――。  

 戦後のアメリカ的価値観で教育され、またその価値観に心の底から憧れ、育った私でさえ、「日本の古き良き文化や美意識はどこへ行ってしまうのだろう…。」と腹の底から心配し、危惧している。  
 時代や環境を超えたところに、個人の美意識なるものが存在するのだと、ただなんとなく思っていた。
  無意識の中の美意識が本当の美と信じていた。 美を感じるのに生まれ育った環境や時代などで左右されるものではないと考えていた。  
 
 しかし、 美意識こそがその国の文化を形成していることに、最近気がついた。  
昨今の若者を始め、戦中・戦後、いや、戦前に育った人までもが、百年にわたる西洋の美意識の洗礼を受け続けた結果、日本の歴史ある良き文化をごく自然なかたちで美しいものとして、感じ、和むことができなくなってしまったようだ。

 絵画や音楽・芸能・建築様式などはもちろん、倫理観や価値観までもが先人達が命がけで培い育んできた良き文化をただ古臭いものとして隅っこに追いやってしまった。  

 私が、生業とするところの「仏画」もまた伝統的な様式と形式を基本に描くのだが、伝統の中に生きていないと感じることのできない「美」があることに気づかされる。
 やはり、美意識はその生きている環境で育まれるもので、伝統を大切にする土壌の中で「美」という価値観(美意識)と接触していると、その感性が研ぎ澄まされ、そのものが持つ本来の美が、ごく自然に感じられるというものだ。

  伝統的な文化と縁のない日々を送っていると、情けないことに、先人達の創った作品を骨董的な価値でしか見ることができなくなってしまい、その作品の持つ本当の美しさやメッセージを素直に感じなくなってしまうのだ。
 
  私は西洋の文化なり美意識が悪いと言っているのではない。 日本の歴史ある良き文化、あるいは美意識といってもいいが、それを、ことごとく感じることのできない日本人を作り出している今のあり方に問題があるのではないかといっているのだ。

 やはり今の教育制度を見直し、伝統の継承行為そのものの意味と価値をもう一度考えてみる時だと思う。  

 日本の国旗や国歌の是か否を論じる前に、歴史ある日本国の先人たちが育んできた文化を感じるならば、美を感じるならば、あえて、法律で縛ろうとする必要はなかったはずだ。
このまま西洋化する日本を放置すれば、「日本国民の美意識」までも法律化しないと、この国の文化が維持できなくなってしまいそうだ――。        

ふじのしょうかん