中外日報 2000年(平成12年)1月20日 中外アート 不定期連載エッセー&コラムより 1/3紙面

ささやかな日本の文化発見
留学生が教えてくれたもの
仏画工房 楽詩舎 代表絵師 藤野正観



昨年の夏から、我が家にとっては大変珍しいお客様が月に一度か二度の割合で泊まりに来る。
今年の五月までその客人は通いの家族なのだそうだ。
私の娘の通う大学からの依頼でそういうことになっている。

 カレン・ライはスーパーモデル級の背丈とプロポーションを持つカナダ人の留学生である。
今では、私のことを「オトゥサン」と呼んでくれる。
 四ヶ月前にはほとんど日本語を話すことができなかったのに今では、日常会話には困らない。長年に渡って英語教育を受けた私の立場がない。文部省に文句を言っても始まらないので知っているだけのカタカナ英単語と身振り手振りで彼女とコミニュケーションをとることになった。
 私が冷や汗をかきながら彼女と話した中で、今の日本が、我々の気づかないうちにいかに西洋化してしまったか、彼女の目に映ったわずかな異文化が何であったのか我々日本人が気づいていない庶民の文化を再認識してみたい。

 もともと彼女は日本の文化に興味を持ち、そして好きになり日本に留学し、その文化に触れたいと考えた。
我が家に来ることになった当初、「今の日本の文化はどうですか?あなたが想像していたとおりでしたか?」との質問に、返事はこうだった。「残念ながら今のところ、カルチャーショックを受けないことにショックを受けています…。」
その言葉を理解した時、私自身がショクを受けた。
彼女の周りの若者文化は、もはや完全に西洋化してしまったのか。
「仏画を描く」という日本の精神文化と美術の中で生きている私は、慌てた。

 我が家の正月をカレンと共に過ごした。年越しそばを一緒に食べ、近くの善峯寺へ行き、除夜の鐘を突いた。百八つの梵鐘の意味や雑煮を食べることの意味など、ここぞとばかりに無理やり教え、濃厚な日本を味わっていただいた。
 神社仏閣の美しさや芸能・工芸の美に感激するのは当たり前として、我が家にもかろうじてあったささやかな日本の庶民文化を感じてもらうことができた。
それは、西洋の価値観を持つ彼女にとって違和感のあることでもあったらしい。
 食事を始めた時、彼女は、支度をする我が女房にこう言った。「オカァサンハ、ナゼミナト、ショクジヲトラナイノデスカ?」女房が席に着くことなど何の気にもせず娘と息子と私は口を動かしていたのだが、痛いところを突かれて冷や汗が出た。
女房は少し困ったが、哀れんでくれているカレンにこう言った。
「お母さんは、皆にできたてのごちそうを食べてもらいたいのよ、そして皆の楽しいお話が聞こえてくるだけでうれしいの。お腹はいっぱい味見をするから平気なのよ。」
 我が女房のさわやかな返答に、「たぶんこれも日本のりっぱな精神文化のひとつなんだ。」とカレンも私も納得してしまったのだ。
 
 外国人から見ると気の毒そうに見えたり残酷に見える何かも、必ずしもそうではないことがいっぱいあることを忘れてはならない。
日本の捕鯨を野蛮としか言わない人たちに、ごもっともと納得し、セクハラとかいうややこしい外来の価値観にほんろうされている日本は、かなり分かりにくくなっていることは確かだ。
      

ふじのしょうかん